作品を観た人の喜びの声を聞くのが何より嬉しい

作品を観た人の喜びの声を聞くのが何より嬉しい

アメリカで映像制作の真髄を学んだ後、日本のアニメーション制作に携わってきた木下 哲哉。ポニーキャニオン入社後は、アニメプロデューサーとしてTVアニメ『進撃の巨人』ほか話題作を世に送り出しています。ファンとクリエイターの架け橋となるプロデューサーとしてのマインドを彼はどのように育んでいったのでしょう。

▲アニメプロデュース2部の木下 哲哉。アメリカの大学院に進学し、日本のアニメ文化の魅力に気づきます
▲アニメプロデュース2部の木下 哲哉。アメリカの大学院に進学し、日本のアニメ文化の魅力に気づきます

日本を飛び出し、エンタメの本場の大学院に進学

現在、アニメーション作品のプロデューサーとして活躍する木下 哲哉。彼がエンターテイメントのジャンルで仕事をしたいと心に決めたのは、東京の大学で文学部英米文学科を卒業した後のことでした。大学卒業後、日本の一般企業への就職活動をしなかった彼は、もともと大の映画好き。

映像制作の分野で働きたいと思い、英語を学んできた下地を活かして思い切って日本を飛び出し、エンターテイメントの本場に向かいました。そこで鮮烈な体験をします。

木下

両親に頼み込んでアメリカの大学院に進学し、最終的に選んだ専攻は、自分が進みたかったエンターテイメント分野に最も近い演劇と映画でした。そこでの授業のなかに映画史があり、国内外の主要な映画作品について学ぶのですが、そのなかの1本に日本のアニメ映画があったんです。それが『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』でした

先鋭的なハードSFを描く士郎 正宗の原作マンガを、Production I.Gが制作、監督を押井 守が手がけた『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』は1995年の作品。国内外のクリエイターに多大な影響を与えるなど、“ジャパニメーション”の金字塔とも呼ばれています。

木下

僕自身は映画、テレビ、アニメと映像全般が好きでしたから、一般の方よりはアニメにも詳しかった。もちろん『攻殻機動隊』も観ていたのですが……欧米の方の評価は、日本とは段違いなことにビックリしました。

教授と学生が、アートを称賛するような褒め方で、ハリウッド映画と対等のものとして内容を議論している姿に驚いたんです。日本での受け止められ方とはかなり違いました。“日本には世界に通用するクオリティの高いアニメ文化が存在している”ことを、アメリカで気づかせてもらいました

大学院の映画学科の学生たちは、日本アニメに興味を持つ人も多かったと言います。

木下

ちょうど当時、アニメ専門チャンネルの深夜に放送していた日本の国民的アニメの吹き替え版の人気が急激に伸びていました。ジャパニーズアニメはみんなの興味の対象になり、僕の家で日本で録画したアニメの鑑賞会をよくやっていました

アメリカから帰国後、偶然が重なりアニメ制作会社に入社

▲携わった作品で関わった多くの人々は「今でも同志のような感覚です」と振り返る
▲携わった作品で関わった多くの人々は「今でも同志のような感覚です」と振り返る

大学院在籍中は「アメリカのエンタメ業界で働けたらきっと楽しいだろう」と、現地の映像制作現場でインターンも経験していた木下ですが、卒院後はアメリカにとどまりませんでした。

木下

自分には何ができるのか、日本ではどんな可能性があるだろう?を探ってみたくて、日本でも一度就職活動をしてみようと思い、帰国したんです。結局、アメリカに戻ることはなく、そのまま日本に居続けることになってしまったのですが(笑)

日本に居続けることになってしまった理由に、大学院生時代、認識を新たにした“アニメ”が関係していくことになります。帰国した2001年、日本で最初に就職したのは、あの『攻殻機動隊』シリーズの制作プロダクション、Production I.Gでした。

木下

アメリカの大学院の卒業時期は5月なので、日本の就職時期とは合わないんです。そう思っていたときにProduction I.Gが、たまたま実家の近所にあることがわかりました。

あのクオリティの高いアニメは、どうやって作られているのかを経験してみたい。ダメ元の記念受験のつもりで会社にメールをしましたら……来週から来てくれないかと返事があり。採用時期とは少しずれていたので研修生として入社し、制作進行を担当させてもらうようになりました

偶然が重なりあって入社したアニメ制作プロダクション。中でも海外進出にも積極的だったProduction I.Gでの経験は、貴重なものになりました。

木下

クリエイターのみなさんは、とにかく人生を懸けて作品を作っています。それを間近で見ることができたことは、僕にとって今でも大きな財産です。特に記憶に残っているのは、2003年に公開された『キル・ビル Vol.1』。

Production I.Gは、登場人物の過去をアニメーションで描くアニメパートを手がけたのですが、たまたま僕が制作のプロダクションマネージャーを担当しまして。あのクエンティン・タランティーノ監督と一緒に仕事をする機会など一生あるわけないと思っていましたから、嬉しかったですね。制作期間中の1日1日がとても濃密な時間でした

「忙しかったですが、クリエイティブな現場は毎日がとても刺激的でした」とProduction I.G時代を振り返る木下。

木下

だからこそ、当時知り合えたクリエイターやスタッフの方とは、今でも顔を合わせると同志のような……不思議な感覚がありますね

映像作品のプロモーターからアニメプロデューサーへ

▲ポニーキャニオンで生まれた目標は「いつか自身がプロデュースした作品を世に出したい」
▲ポニーキャニオンで生まれた目標は「いつか自身がプロデュースした作品を世に出したい」

アニメ制作の最前線でスキルを磨いた木下は、2005年にProduction I.Gを離れ、転職を決意します。一番の理由は「制作現場にとどまっているだけでは知り得ない、その先を知りたくなったから」

木下

自分が制作会社で懸命に作って納品したものが、どういう仕組みでユーザーのみなさんに届き、観ていただいて、楽しんでいただいているのか。どうビジネスにつながっているのかに興味が出てきたんです。

言葉は悪くなってしまいますけど……こちらが命がけで作ったものが、本当に同じ熱量でそれを世に出す側に運用してもらえているのかなという疑問もずっとあったので

しかも30歳になってしまうと現実的に転職自体が難しくなるケースも。「29歳の今しかない」と考えた木下は、エンターテイメントを幅広く扱うメーカーに飛び込んでみようと思い、転職活動を開始。ポニーキャニオンに入社します。

木下

アニメは好きでしたし、Production I.Gでのアニメ制作の知見は深めましたが、もともと僕が興味を持っていたのは映像作品全般。なので、あえてアニメを専門的に扱うメーカーは避けました。

そしてポニーキャニオンに入社が決まり、映像事業部で宣伝を担当することになったのです。今は、アニメと実写では部署も分かれていますけど、当時は一緒。映像ならジャンルを問わず、DVDのプロモーション業務に奔走しました。宣伝イベントや雑誌の取材のセッティングなど、入社後2年ほどはそれまでとは畑違いの分野も担当し、それもいい経験になりました

ちなみに転職前、“クリエイターと同じ熱量でメーカー側は仕事をしているのか”という疑問に、答えは出たのでしょうか。

木下

出ましたね、入社してみたらポニーキャニオンの人たちがめちゃくちゃ仕事をしていて、びっくりしました(笑)

そんな忙しさのなかで、木下は生来のプロデューサー気質がそうさせたのか、こんな映像作品を創りたいというオリジナル企画をどんどん提案していくようになります。その中にはアニメ映像化企画もありました。

木下

映像宣伝に関わるようになり、やはり自分のスキルを最も活かせるジャンルはアニメで、いつか自分がプロデュースした作品を世に出したいという目標が生まれていきました。制作会社時代に知り合った人たちとの関係も途切れず続いていましたから、アニメなら何か形にできるだろうというのもありましたし。

そうするうちに、アニメのプロデュースをやりたいオーラが自然に出ていたんでしょうか(笑)。自分で言い出したわけではないのですが、アニメプロデューサーとして宣伝から製作業務に移ることになりました

2007年の『神霊狩/GHOST HOUND』以降、17年間に渡ってアニメプロデューサーとして活躍する木下。多くのヒット作にも携わっていますが、特に印象深い作品として心に残っている筆頭は『戦国BASARA』シリーズ。どちらの作品もアニメ制作は古巣のProduction I.Gとタッグを組みました。

木下

特に『戦国BASARA』からは、大事なことを全て教わりました。原作はカプコンさんのゲームでしたが、カプコンのゲームプロデューサーをはじめとした、コンテンツをより良くするために妥協しない姿勢や、放送局であるMBSさんの“TVアニメとはどうあるべきか”という考え方など、とにかく関わるスタッフみなさんの経験が豊富。

ゲームをもとにした強烈なキャラクターが次々に育っていく作品作りはとても楽しかったですし、僕はただただ学ぶばかりでした

やり過ぎなくらい、全力でチャレンジした『進撃の巨人』

2024年7月から放送開始する『キン肉マン 完璧超人始祖(パーフェクト・オリジン)編』鋭意製作中。

そしてもう1作、彼にとってけっして忘れることのできない作品が、2013年に放送をスタートしました。こちらも『戦国BASARA』からの想いを受け継ぎ、MBS とProduction I.Gから独立したグループ制作会社であるWIT STUDIOとのタッグでシリーズが開始。スタッフィングは変遷しながらも、2023年放送の『完結編(前編・後編)』まで、10年間もの長きに渡って高い評価と絶大な人気を集めたTVアニメ『進撃の巨人』シリーズです。

木下

『進撃の巨人』は、諫山 創先生が連載を続けている途中からアニメ化が始まりましたが、まさか原作の完結まで全てをTVシリーズとして実現できるとは、当初は考えていませんでした。

もちろん、Season 1を作り始めた時は、ぜひ次もやりたいという気持ちはありましたけど、続編は決まっていませんでした。とにかく先を考えず、Season 1の2クール分にスタッフ全員が全力のエネルギーとクオリティを注ぎ込んだんです。

その結果、今振り返ると“やりすぎたかな?”と思うくらいの密度の濃いアニメになり、だからこそ、たくさんの方の支持をいただくことができたのだと思います。それを毎期積み重ねていくことで、10年をかけて完結まで走り切れました

「『進撃の巨人』からもいろいろなことを学ばせてもらいました。国内外問わず、観て楽しかった、こういうシーンに興奮したなど喜びの声をいただいて、たくさんの人に観てもらえたことが何より嬉しい。かけがえのない作品です」と言う木下は現在、2024年7月より放送を開始する『キン肉マン 完璧超人始祖(パーフェクト・オリジン)編』を製作中です。

原作マンガも1980年代から90年代にかけてのアニメ化も一世を風靡した名作の続編が、30年以上の時を経て、新作アニメとして届けられます。

木下

子どもの頃、自分が夢中になっていた作品に、まさか自分が参加できるとは!という気持ちで挑んでいます。一緒に手がけているスタッフ、製作委員会のプロデューサー陣も『キン肉マン』愛がすごく、現場も熱量がとても高いんです。その熱量をちゃんとお届けできるように頑張りたいですね。

今回の『完璧超人始祖編』は、往年のファンに向けてだけでなく、今の時代に贈る新しい『キン肉マン』としての要素もたくさん盛り込みました。僕は48歳になりましたが、僕と同世代の方はお子さんがいらっしゃる方も多いと思うんです。ぜひ親子で毎週楽しく観ていただいて、一緒に『キン肉マン』ごっこをして遊んでもらえたら、とても嬉しいですね

世界を席巻する日本のアニメ。木下のようにプロデューサーとして作品を世に送り出したい人も少なくないことでしょう。アニメプロデューサー、アニメ業界をめざす人にアドバイスするとしたら、どんな言葉を贈るでしょうか。

木下

1つ作品を手がけるとなると、準備から完成まで3~4年ほどかかるのが普通。そのモチベーションを保てることが大事です。せっかく楽しいエンタメの業界にいるのだからと思って、お客さんを楽しませるだけでなく、自分も楽しめたほうが絶対にいいです。その気持ちはユーザーにも作品を通じて絶対に伝わるので、そういうポジティブな感覚でやれる人はアニメプロデューサーに向いていると思います。

今手がけている『キン肉マン』もそうですが、僕は世界中の人に愛され、ドキドキしながら観ていただける作品を作りたいんです。そのためにも、僕自身が楽しみながら、これからもポジティブに頑張っていきたいと思います

※ 記事の部署名等はインタビュー当時のものとなります
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