“チャレンジし続ける人”平野 裕子の人生は、この先ますます彩り豊かなものになっていきそうです。
仕事も家庭もバレエも 自分にとって大切なものを手放さず諦めない生き方
バレエダンサーをめざし大学時代には名門・東京バレエ団に所属していたという異色の経歴を持つ平野 裕子は、ポニーキャニオンに勤続24年、8部署でさまざまな経験を積んできました。仕事をしながらバレエの舞台に立ち、2児の母でもある彼女。すべてに力を注ぐ驚異のバイタリティ、その源にあるものとは──。
プロのバレエダンサーからレコード会社社員へまさかの転身
テレビで観たバレエダンサーに憧れ、バレリーナになる、という夢を小学生のころに抱いた平野。「クラシックバレエを習いたい」と自ら親に頼み込んだ彼女はそこからバレエ一筋、大学在学中の19歳で東京バレエ団のオーディションに合格しました。
平野
ずっとバレエ中心の生活を送ってきた自分にとって、バレエはなによりも好きなこと、楽しいこと。東京バレエ団への入団が決まったときには、本当に嬉しかったです。
でも、バレエ団での生活は想像していた以上に本当にハードで……。朝はバレエ団でレッスン、午後からリハーサル、終わってすぐに大学の授業に追われ毎日ヘトヘトでした。バレエ団の同期には国際コンクールで入賞した人や海外のバレエ学校に留学していた人もいて、それまで小さな地元のバレエ教室に通っていた自分は同期や先輩方についていくだけで必死でした。
初舞台はなんとか踏めたものの、バレエと学業の両立がだんだん難しくなってきて、そんなタイミングで疲労骨折をしてしまってプロのバレエダンサーとして生きていくことに迷いが生まれたんです
それは、ただひたすらにバレエの道を歩んできた平野に訪れた大きな転機でした。
平野
東京バレエ団入団後、1年目2年目の新人は舞台に立ちながら先輩方をサポートするため裏方の仕事をするんです。本番当日は朝イチで会場入りして楽屋を整え、衣装を配ったり、楽屋での準備を手伝ったり。一見地味だけれど舞台を作り上げるために欠かせない裏方の仕事も自分は好きなんだな、ということに気づけたんです
華やかな舞台に出て行く人の支えになる、仕事として長く続けるならそういう役割の方が自分には向いているかもしれない。そう思った平野は、2年で東京バレエ団を退団し、就職活動を経て1998年にポニーキャニオンに入社。最初に配属されたのは大阪営業所でした。
平野
学生時代をずっと横浜で過ごしていたので、ものすごく大きなカルチャーショックを受けましたね。言葉も街の雰囲気も関東と関西では全然違いますから。3年大阪にいたんですが、最初の1年は仕事面でも生活面でも慣れないことが多くて戸惑うこともありました。
でも、私が入社した1998年は大阪出身のaikoがポニーキャニオンからデビューした年で、大阪での販売促進イベントが多くあり、いろいろな経験をさせてもらいました
自社アーティストの作品を置いてもらうように大型店から地域密着型店までいろいろなCDショップをまわったり、店頭イベントを行ったり。多くの人と関わりながらアーティストに光を当てていく営業の仕事を通して、見出したこともあったと言います。
平野
社内の人間とも社外の方ともコミュニケーションがうまくとれているかどうか。どんな業務や職種であっても、それは常に意識するようにしています。
担当しているショップにまめに足を運び、店長はもちろん、スタッフの方たちと信頼関係を築いていきました。自分から積極的にコミュニケーションを取ること、それは今も大事にしていることです
仕事とバレエと英語、三兎を追って三兎を得る
大阪営業所で京都、滋賀、広島、山口、岡山、四国などのレコード店の営業を担当したのち、2001年に異動になった先は福岡営業所のプロモーター。九州全域のプロモーションを担当することになります。
平野
就職前からプロモーターを志望していたのですが、なかなか営業から異動できず、福岡でエリアプロモーターと言われた時は嬉しくて跳び上がって喜びました。
九州のテレビ局やラジオ局、出版社を周り番組出演や皿回し(ラジオ番組で曲をかけてもらうこと)、取材をしてもらえるようプロモーションし、アーティストが稼働する時に帯同するのがプロモーターの仕事です。
プロモーター2年目にそれまでの2人体制から1人体制となり、九州全域を自分ひとりで担当していた時期がありました。目まぐるしくハードな毎日でしたが、地元のイベンターや媒体の方々が音楽を愛する熱い方々ばかりで、刺激的な3年間を過ごしました
そうした忙しい合間を縫って、大阪でも福岡でもバレエを続けていたという平野。発表会のステージに立つだけでなく、福岡宣伝時代にはコンクールにも出場しました。
平野
入社1年目はバレエから完全に離れていたんですけど、ふっとまたやりたくなって……。仕事をしながらバレエのレッスンに通うことを決めたんです。プロになることをめざして踊っていた学生時代とは違って、別に何かをめざすわけではないけれど、バレエを通して自分自身と向き合えて、またどんどんバレエが楽しくなっていって。
ただの自己満足じゃなく、何かちゃんと結果を出したいという思いや、社会人だからって中途半端にやっていると思われたくなくて必死に臨んだコンクール。結果、予選通過はかなわなかったんですが、やりがいのある仕事と大好きなバレエを両立する日々は忙しくも充実したものでした
仕事にもバレエにも全力投球。好きだから、楽しいから頑張れるのです。
福岡宣伝で3年過ごしたのち、2004年に東京本社の映像宣伝課に異動となった平野。ビデオからDVDへと移行する過渡期に、お笑いやスポーツ、韓流などさまざまなジャンルのDVD作品の宣伝を手がけるいっぽう、平野はアメリカ・テンプル大学日本キャンパスの生涯教育プログラムに通い始めました。
平野
8歳までアメリカに住んでいた帰国子女ではあるものの、留学経験もなくその後はバレエに夢中でした。福岡にいたころにバレエの講習会でアメリカ人講師の通訳をする機会があり、やってみたらすごく楽しくて。
仕事にも英語を生かせたらいいな。とりあえず、仕事に関係することを英語で勉強してみようと思ってテンプル大学の授業を受け始めたんです
そんな平野の想いが通じたのでしょうか、2005年に海外との交渉が主となるライツマーケティング部へ異動することに。そこでは語学力のほか、福岡宣伝での経験が生きたと言います。
平野
ライツマーケティング部での業務内容は、主に台湾、香港、韓国への音楽作品のライセンスやCD、DVDの輸出、イベント、コンサート開催時のプロモーションのコーディネートや帯同など。プロモーターの仕事とあまり変わらない部分もあって福岡宣伝で覚えたこと、学んだことが役立ちました。
福岡では、w-inds.のデビューから関わらせてもらっていたんですが、ライツマーケティング部所属時に台湾や韓国、中国のライブに同行したんです。デビュー当時は福岡でインストアライブや握手会をやっていたのに数年でアーティストとして世界へと羽ばたくようになっていて。そういう成長を間近で見られるのも、この仕事の素敵なところだな、と思います
自らが望み挑戦心を持ち続けるなら必ず道は拓ける
2007年、当時ポニーキャニオンのグループ会社だったCD・DVD・Blu-ray Discなどの光ディスクを受託製造するメモリーテック株式会社に出向。語学力を生かして海外戦略営業室にて海外セールスのアシスタント業務に就いたのち、かつての営業経験を買われ国内にあるレコード会社のディスク営業や、印刷物のデザイン受注も担当しました。
平野
ポニーキャニオンの人間ですけど、メモリーテックの名刺を持っていろいろなレコード会社に営業に行くのは不思議な感覚でした(笑)。製品の納品までにはいくつものチェックの工程があって、製造業の世界の厳しさを肌で感じることができました
どこに行っても前向きで、どんな経験からも知識を吸収していく平野。2008年、結婚・妊娠を機にポニーキャニオンの商品管理部制作進行課に異動し、9カ月の育児休暇を経たのち職場復帰すると、仕事と子育ての両立に奮闘することとなります。
平野
長女は1歳になるまではほとんど病気をしなかったので、甘く考えていたら職場復帰した途端しょっちゅう熱を出すし、病院にかかることも多くなって。時短勤務ではなくいきなりフルタイムで復帰してしまっていたこともあり、体力面でも精神面でも本当に余裕がなかったです(苦笑)
テレワークの制度もない時代でしたから子どもが病気をするたびに急きょ仕事を休まなければならず、上長や先輩方の理解、夫やシッターさんのサポートなしでは乗り切れなかったです。そんな反省もあったので、次女の出産後しばらくは時短勤務にさせてもらいました
驚くことに、仕事と育児を両立させるだけでなくバレエへの情熱を失っていなかった平野。商品管理部商品管理グループ在籍中の2015年には、バンクーバーバレエシアター主催『第2回 バレエフェスティバル』に向けてオーディションを受け、長年夢見ていた演目『ライモンダ』の主役の座を見事射止めました。
平野
仕事も家庭もバレエも、自分にとっては欠かせないものだし、全部好きだから全部手を抜きたくないんです。
とはいえ、現役のプロバレエダンサーが一緒に踊る舞台で私が主役を務めていいのだろうか、という葛藤もありました。そんなときに「あなたが会社員であろうが子持ちであろうが観客には関係のないことでしょ」と先生に言われて。自分がやりたいと思うならどんなチャンスにもためらわずに挑もう、というのは今も変わらずに思っていることです
娘2人も同じバレエ教室に通うようになり、2020年の8月には発表会のステージで親子共演も果たした平野。彼女の背中を見て娘たちはきっと誇らしく思っていることでしょう。
パッケージから配信へと音楽業界が大きく舵を切る中、2016年から2年間は再び海外グループ(旧ライツマーケティング部)にて音楽の海外へのライセンスやデジタル配信を担当しました。
平野
ライツマーケティング部以来、久々に海外グループに戻ってみたら、パッケージからデジタルへの移行に伴って仕事の内容も大きく変わっていました。初めて携わるデジタル配信の仕事は新たに知ることばかりで楽しかったです。
加えて、社内プロジェクトチームでインターネットのバレエショップ『アンテ・ロープ』(現在は閉鎖)を立ち上げ、DVD『パリ・オペラ座バレエ「マノン」~オーレリ・デュポンさよなら公演~』のリリース、映画『ポリーナ、わたしを踊る』、ダンスドキュメンタリー『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン世界一優雅な野獣』、アニメーション映画作品『フェリシーと夢のトウシューズ』の宣伝に携わりました。バレエ人脈をフルに活用してバレエ関連作にいくつも関われたのも幸せなことです
人生で得るものはすべて世のため人のために役立てたい
2018年に異動したエリアアライアンス部では、地方自治体への企画営業や、部のホームページ更新、SNS運用を担当。
2020年に異動したコンシューマービジネス部1Gでは、ポニーキャニオンの商品を海外のユーザーに直接届ける越境ECサイトPONYCANYON SHOPで音楽作品を担当しながら英語でSNSの運用やプレスリリース作成・配信、ショップのメールマガジンを作成。また、部内ブレストチームにてリーダーをつとめ、国内向け通販のアナログ専門ショップ「ぽにレコ」をオープンさせました。
そして、2023年4月現在。アニメ・映像メディアマーケティング部 海外グループに在籍する平野は3度目の海外グループを経験しています。
平野
海外グループの業務の中でも今まではずっと音楽にかかわる業務を担当していたのですが、今回はじめてアニメの仕事にも関わらせてもらっています。国内で放送されているアニメ作品の多くが海外でもテレビ放送や配信をされていて、日本での放送が終わってから30分後には字幕付きのものが海外のライセンシーから配信されています。
配信のためには、アニメの本編以外にも字幕作成のもとになる完成台本や宣伝のために必要な作品のキービジュアルやプロモーションビデオ、場面写真などいくつもの素材が必要で、今はそれらをアニメの制作担当者から集めて海外グループのセールス担当へ渡す業務を担当しています。
2023年の4月クールはポニーキャニオンが海外セールス窓口を持っている作品が6作品もありなかなか素材が集まらなくて「早くしないと放送開始してしまう!」とかなり焦りました。配信後のユーザーからのコメントなどをミーティングで聞くのですが、日本での反応とは違った反応が海外から戻ってくることもあり本当におもしろいです。日本アニメの持つパワー、海外需要の高さをあらためて肌で感じています。
音楽では、アナログレコードの人気が海外でもすごいですね。ポニーキャニオンからリリースされているアナログレコードを輸入したいというリクエストもありますし、アルバムをライセンスするのにCDではなくレコードでというリクエストも多いです。ストリーミングでいくらでも好きな音楽が聴ける時代ですが、やはりレコードの大きなジャケットはファンの心を刺激するアイテムなのだと思います
また、出産後に身体のトレーニングとメンテナンスに興味を持ちはじめ、2009年にヨガインストラクター資格である全米ヨガアライアンスRYT200、2020年にBASIピラティス マット指導者資格、2022年にチェアヨガ指導者資格を取得しました。コロナ禍をきっかけに社内向けのオンラインピラティス講座を月に2回開催しています。
平野
いつもレッスンの中でも言っているのですが、身体は日々の小さな積み重ねが原因で痛みや不調が出てくるんです。裏を返すと日々の小さな積み重ねで、自分で良くしていくこともできるんですよね。1日5分でも、毎日続けたら身体は全然変わってきます。
でも、一人でトレーニングするのはなかなか続かない。そうした悩みを少しでも改善できるきっかけになればと思い、オンラインピラティス講座をやらせてもらっています
自己実現に向け計り知れない努力をするだけでなく、得たものを人のために役立てたい。そう、平野は考えているのです。
平野
自分が経験してきたことを人のために生かせたらいいな、という想いは歳を重ねるたびに強くなっているかもしれません。それに、人に教えることで気づくこと、習うことも多いんですよ。人に教えるためには自分が学び続けなくてはいけないと日々感じています
「仕事でもバレエでもピラティスでも、インプットすることもアウトプットすることも楽しい」と笑顔を見せる平野。2023年4月には、勤続25年目に突入しました。
平野
異動するたび新しい仕事を覚えられるし、社内でも、社外でも新しい人とのお付き合いもありたくさんのチャンスをもらってきた24年。この先も、そういう新しい出会いを重ねていけたらいいなと思っています。
仕事面ではアニメの海外ビジネスの知識を身につけ、英語での交渉や契約のスキルをもっと高めたいですね。プライベートでは、娘たちの成長を見守りつつ、やっぱりまたいつかバレエの舞台に立ちたいです
※記事の部署名等はインタビュー当時のものとなります。
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